51年を経て問題が表面化
 土呂久地区には健康状態のすぐれない子どもたちが多いのではないか。地元、岩戸小学校の教師が疑念を抱いたことから、事態は大きく動きはじめます。鉱山閉山9年後の1971(昭和46)年、教師たちが調査すると、この50年間で100人近い住民が平均39歳で亡くなり、調査時点で70人以上が病気で苦しんでいることが判明しました。 調査結果はまとめられ、県教育研究集会で発表されました。それにより地域住民の中の健康被害が報道されたことで、埋もれていた土呂久の公害問題が表面化したのです。亜砒焼きがはじまってから51年目のことでした。この発表を受けて、県などが実態調査を行い、後に法律による救済の対象となるきっかけとなりました。
「慢性砒素中毒症」とは?
  土呂久鉱山周辺被害地図
裁判は最高裁まで争い、和解へ
 宮崎県知事は患者と鉱山会社の間に立って補償のあっせんを行いました。しかし、知事あっせんは一部の症状の補償にすぎないとし、1975(昭和50)年12月、第一陣(最終的な患者数で23人)が最終鉱業権者を提訴。1984(昭和59)年には第二陣(最終的な患者数で18人)が訴訟に踏み切りました。一陣の裁判は最高裁まで持ち越されましたが、「命あるうちの救済」を願った原告は一括和解を要請。1990年(平成2)年、最高裁で和解が成立し、15年に及んだ裁判が終わりました。この15年の間に原告患者の半数以上が亡くなりました。
  墓碑に刻まれた言葉
元の環境を取り戻すために
 現在、土呂久を元の姿に蘇らせる取り組みが進められています。汚染源であった鉱山跡地は盛り土をして草木を植え、河川にはコンクリートで防護壁を築きました。出水事故が起きた坑道「大切坑」では、ここから流れ出す水が川や地下水を汚染しないよう、今も工事が続けられています。周辺の水田は土壌の改良が行われ、牛の飼育も再開されています。
  現在の土呂久

参考文献:『土呂久公害から学ぶ〜美しい環境を未来へつなぐために〜』
宮崎県環境森林部 環境管理課

         
    

Copyright© 2018 ecoみやざき All Rights Reserved.